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北海道の木造建築といえば「三五工務店」。その価値を磨き、世界へ。

株式会社三五工務店
代表取締役 田中 裕基

更新日:2025年5月14日

1982年、札幌市生まれ。日本大学卒業後、飲食業のコンサルティング会社に勤務。2009年、株式会社三五工務店に入社。ショップ・飲食店の企画・デザイン・施工、家具・雑貨の販売、カフェ運営などを手がける「株式会社35design」を2016年に設立。2020年、代表取締役に就任。現在は関連会社として規格住宅の設計・施工などを行う「株式会社リヴスタイル」、宿泊施設を企画・運営する「合同会社ノースシェア」の代表取締役を兼務。フリーペーパー「35MAGAZINE」では編集長を務め、「日本地域情報コンテンツ大賞2023」大賞を受賞。北海道ボールパークFビレッジのまちづくりに参画し、道産木材を使用した商業施設やグランピング施設などの設計・施工も担当。ちなみに社名は、創業時の自宅兼事務所が北35条にあったことに由来。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

創業時から続く「ものづくり」への強い想いを受け継いで。

当社は1958年、私の祖父・田中藤雄が創業しました。1973年に株式会社三五工務店を設立し、父・寿広が2代目、私が3代目の社長を務めています。子どもの頃の自分にとって祖父は、“大好きな優しいじいちゃん”でした。でも今になると、宮大工棟梁だった祖父が、「ものづくり」に対して強いこだわりを持っていたことに気づきます。

「営業しなければ仕事を取れないぐらいなら、ものづくりの仕事はやめろ」。そんなふうによく言っていたことから、今も当社は営業を置かずに仕事を続けています。そうした「ものづくりで勝負する」という考えは、孫である私にも受け継がれているのかもしれません。

「やりたいこと」と「やるべきこと」を考え抜いて家業へ。

もともと私は、「いつか自分の力で一国一城の主になりたい」と考えており、東京で飲食業のコンサルタントとして働いていました。父に戻ってくるよう言われても断り続けていましたが、ある時「1年間働いてみて嫌だったらもう誘わない」と父が言ったのです。それならば、と戻ることにしました。

自分で飲食店をプロデュースしたいと思っていた私は、設計もできれば強みになると考えて、働きながら2級建築士の資格を取り、また東京へ行くつもりでした。ただ、大学で建築を学んだとはいえ1年で資格を取るのは難しく、3年目に合格できました。

その時の私には、父が経営する会社は魅力的に見えず、やはり東京へ戻ることに。それで、当時付き合っていた妻に一緒に行こうと話すと、「親のことも周りにいる人のことも幸せにできないのに、独立して自分でやっても成功するはずがない」と言うのです。大きなショックを受けました。

それまでは、やりたいことだけ自由にやっている人がカッコいいと思っていたのですが、「やりたいこと」と「やるべきこと」を考え抜いた結果、価値観が劇的に変わりました。「やるべきことをしながら、やりたいことをやるのはすごく難しい。やりたいことだけをやっているのは、実はカッコ悪いんじゃないか」と気付かされたのです。

私にとっての「やるべきこと」である家業を継ごうと決め、父に頭を下げました。自分自身の事業展開などは考えていませんでした。一度、社員も含めて自分の周りにいる人に喜んでもらうことをしないと、駄目だと思ったのです。

「地産地消」を家づくりに取り入れ、道産木材にシフトチェンジ。

それからは現場監督として5年ほど必死で実績を重ねました。その中で2014年に取り組んだのが、全棟の道産木材へのシフトチェンジ。前職の経験から、飲食店では道産素材の付加価値がすごく高いのに、家の原材料となる木材にはなぜこだわらないのか疑問を抱いたのが始まりです。

手がけているものに、自分たちならではの価値をつくりたいとも思っていました。そこで、「地産地消」の考え方を家づくりにも取り入れたのです。

価格が輸入材より高かったため、社員には心配されました。それでも、後で良かったと絶対に思うからと道産木材に切り替えたところ、「三五の特徴ができた」と現場からも認められるようになりました。

そして、2016年には「株式会社35design」を起業。家を建てる前から当社を知ってもらうことをコンセプトに、カフェの運営などを始めました。

多くの人は家を建てようとする時に初めて工務店を調べ、モデルハウスを見に行きます。それではハードルが高いので、日常使いできるカフェで当社を知ってもらおうと考えたのです。

素材にこだわる方に家具も提案したいという想いから、家具販売なども含めた店舗をつくり上げました。事業承継とともに、新たな考えを打ち出す起業にも意欲的に取り組む姿勢はここから続いています。

北海道の魅力が伝わる商業木造建築や宿泊事業を展開。

今後の事業展開としては、住宅に加えて商業木造建築などに力を入れていく考えです。商業木造建築の大きな実績としては、北海道ボールパークFビレッジの商業施設やグランピング施設の設計・施工があります。

当社の事業を感じる入り口として、北海道で暮らす私たちが地元愛を発信するライフスタイルマガジン「35MAGAZINE」の発行も手がけました。そして、その考え方を引き継ぎ、リアルの場で体験していただけるのが一棟貸しのヴィラホテル「山郷(さんごう)」という位置付けです。

2023年、小樽市・春香町「山郷」にヴィラ2棟を建設し、宿泊事業をスタートしました。コロナ後の円安や物価高騰などの状況を踏まえ、家としての価値はそのままに宿泊してもらうようにすれば、稼ぐモデルハウスにも、ヴィラとしてのモデルハウスにもなって投資型の案件をつくれると判断しました。

そもそも北海道に泊まりにくるのは、自然や食を求めているから。そう考えると、私たちの北海道での暮らしはとても贅沢なわけです。「山郷」はリアルメディアとして、理想の北海道の暮らしを自由に感じ取り、楽しんでもらえる場にしたいと考えています。

宿泊事業は、「北海道で暮らすように泊まる」場として、その贅沢を最大化した数日間をお客さまに提供することでうまく回り始めています。2025年に新たなヴィラ3棟を開業するほか、レストランやショップなども集うビレッジとして成長させていく予定です。この取り組みは地方創生プロジェクトとして捉え、道内外への展開も考えているところです。

視野を広げて、目指すのは北海道最高峰の木造建築企業。

ビジョンとして掲げているのは、「木造建築といえば三五工務店」という状況をつくること。北海道で木造のカッコいいものをつくる、価値のあるものをつくるといえば、当社の名前がすぐ挙がるようになることを目指しています。

当社は、本当に真摯にものづくりをしています。自分たちがカッコいいと自画自賛できるチームとして、自信を持って堂々と働けるようにしていきたいのです。今は北海道最高峰の木造建築企業と言っていますが、インディーズのトップになりたいと思っています。

さらには、私たちの価値を海外へも展開したい。海外の人に北海道に家を建ててもらう事業を始めていますが、台湾など海外での設計、施工のお手伝いなどを視野に入れた取り組みにも着手しました。インドネシアでは私が個人でファウンダーとして事業に加わり、新たな可能性も探っています。

日本はアジアに位置していますが、自分たちのことをアジア人と思っている日本人は少ないかもしれません。これだけグローバル化している中で、商圏を北海道や日本と決めてしまうのはもったいない。でもそれは、実際に見ないとわからないことなので、社員も一緒に海外へ行く機会を増やそうと思っています。

それがやがて、北海道No.1の木造建築企業につながっていくはずです。北海道の中だけを見ていても、北海道No.1にはなれないですから。

ものづくりとマネジメント。人材がさらなる躍進のカギに。

現在、当社のグループとしての年間売上高は約30億円です。当社の商業木造建築における立ち位置は、技術力や資金などの面でゼネコンも一般的な工務店も手を出さないゾーンにあり、全国的に見ても大きなチャンスがあります。

直近の設定した数字の達成はもう見えていますから、今後の展開に向けて社内の組織化に力を入れていかなければなりません。そのため、特に2分野の人材が必要です。

まず、いいものをつくれるチームに必要なのは、ものづくりが好きでマニアックな人材。例えば難しい設計が好きとか、ずっと残る木造建築を作りたいとか。当社の仕事はクリエイティブですし、木造で大きなものをつくれる魅力もあります。高い技術力を求められるからこそ面白いと感じる人には、やりがいが大きいと思います。

そして、そうした仕事やチームをマネジメントする人材も求めています。望むのは、物事をロジカルに見ることができて、クリエイターをリスペクトできる人。個性的なクリエイターをまとめていくには、マネジメントする側の人間性が優れていることも欠かせないでしょう。

両分野ともに、即戦力となる人材を必要としています。外から来た人こそ当社のことがよく見えるものなので、ずっと中にいる私に気づいたことをどんどん教えてほしいと思っています。

編集後記

コンサルタント
續 似洋

配偶者様から投げかけられた「やりたいこと」と「やるべきこと」の問いは、田中社長自身の価値観が一変するきっかけだったというお話から、伝えるべきことを言ってくれる身近な存在への感謝の念を感じました。

また、木材を道産に切り替えた背景には田中社長の「こだわり」が垣間見えました。コスト増などを背景に周囲の反発に遭う中、認めてもらえるまで進み続けた求心力や、現在の同社ブランディングに繋がっているインサイトなど、田中社長のパッションとロジカル、両面を表すエピソードでした。

北海道から世界へ羽ばたく同社から今後も目を離せません。

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